「余詰(よづめ・よづみ)を恐れるな」
これは学生時代、先輩からよく言われた言葉だ。
将棋の駒を使ったパズルのようなクイズで、「詰将棋(つめしょうぎ)」というものがある。
クイズだから、当然正解は1個でないとだめ。
もし別の正解が存在したら、それを余詰と呼んで、そのクイズ(詰将棋)は失敗作となる。
私は将棋はあまり指さないのだが、この詰将棋は好きで、見よう見まねで作ったりしていたものだから、大学では将棋部に入った。
先輩のように上手くはないので、どうしても、失敗作(余詰)を恐れて多くの駒を使ってしまう。
それを見た先輩に何度も言われたのが最初の言葉だ。
正解を得るのに不必要な駒なんぞ無い方が良いからだ。
将棋ではなく、普通のクイズに例えれば、
「一番高い山は?」
というクイズを作ったとする。
でもこれでは正解がたくさん出てしまう。
そこで、条件を付けることにしよう。
「2013年3月31日18:00の時、静岡県や山梨県などにまたがり、5合目には大きな湖が5個あると言われる、一番高い山は?」
確かに得られる正解は一つ。
でも、その正解を得るためにこんなに長い問題文が必要だろうか。
下手したら、問題文に間違いが潜んでいるかも。
「現在日本一高い山は?」
せいぜいこれくらいで大丈夫。
先の詰将棋の件にせよクイズの件にせよ、共通点は、問題の本質を見極めることができているかどうかなのだと思う。
プログラムで例えれば「バグを恐れるな」になる。
バグを出してはだめだが、だからと言って、めたらやったら過剰なプログラムを書いていくと、まずプログラムの動きが遅くなる。
それで済めばまだ良い方で、下手すると、論理が破綻して別のバグが生まれたりする。
そうなってしまうと、マジでただでは済まない。
「失敗を恐れるな」
これは新入社員によく使われる言葉だ。
でもそれは、管理下に置かれた新人だからこそ許される失敗であって、生涯、額面通り「失敗を恐れるな」では、命がいくらあっても足らない。
かといって「石橋を叩いて渡らない」でも全く意味が無い。
大切なのは「失敗しない」ことではなくて「本質を見極める」ことなのだから。
結局、着実な一歩を重ねよう、と自分に言い聞かせるしかないのだ。
みたまんま